発酵対談

ワクワクしながら生きていくために

vol.01

有末 剛×日置桜(後編)

 蔵元・山根正紀がこれからの酒造りを考えるにあたり、いまどうしても会っておきたいゲストとお酒を酌み交わしながらお話を伺う発酵対談。
 第一回目のゲストは緊縛師(きんばくし)の有末剛(ありすえ・ごう)さんです。世の中に星の数ほど職業はあれど緊縛師という仕事には、馴染みのない方がほとんどではないでしょうか?
 ご本人も「緊縛師というとよく仕事の内容は知らないままに毛嫌いされることもある」といわれていますが、陰と陽にわけるなら限りなく陰の世界の極みのようなところで活動を続けておられる希有な人物かと思います。
 なぜ、今回、有末さんをお招きしたかというと、人はこれまでの経験を元にした思い込みや偏見、イメージで物事を簡単に判断しがちだけれど、自分と一見異質な人との出会いのなかから、新しい発見があったり世界感が深まることを感じる機会が年々増えてきたから、というのもあります。
 縄を使ってひとつの美の世界をつくりあげる緊縛師という仕事と、酒造りに共通点はあるのかないのか?

今宵のテーマは、「淫美(いんび)な酒」です。

※本記事は後編となります。前編の記事はこちら。[2016年1月収録]

ゲスト:有末剛さん

80年代初頭に緊縛師としてデビュー。以降数多くの雑誌や映画で緊縛を担当。近年では、団鬼六原作の映画『花と蛇』(石井隆監督)での技術指導や国内外でのワークショップ、指導書の制作のほか、他分野のアーティストとのコラボレーション等、ジャンルの垣根を超え精力的に活動。芸術性の高さで評価を得ている。「緊縛とは抱きしめること」。やさしく包みこむような緊縛は女性の内にある美と儚さを引き出し、静寂のなかで独自の官能世界を作り見るものを魅了する。モットーは「生活は小さく志は大きく人生はエロチックに」。

(オフィシャルWeb: arisuego.jimdo.com

(Photo: 後藤一平)

緊縛師とは

山根:ところで、そもそも有末さんは、なぜ緊縛師というお仕事をされるようになったんですか?

有末:いや、もともと緊縛が好きだったんですよ。好きでなければやってないし。漫画とか時代劇とかを見るなかで「縛られた女性が美しい」とちっちゃい頃から思ってたんでしょうね。女性が縛られたことによって、どうしようもなく醸し出すエロティシズムというか。そういう嗜好性って、ちっちゃいときから一滴入ってるもんですよ。

 で、やっぱり、それまで妄想で思ってきたことを、実際にやってみたい、夢を叶えたいと思ってるから、それがなにかのタイミングとともに表に出てきちゃう。僕の場合は大学生のときにスナックで飲んでいたら、そういう雰囲気を察知したのか、「こいつを育てたらなんか面白いんじゃないかな」と思う女性が寄ってきたんです。

山根:スカウトですか?! もちろん年上の女性ですよね。

有末:そうです。あの時代、今よりも社会に余裕があったのか、そういう場所で面白がって遊んでくれる年上の人たちがたくさんいたんですよ。だからみんな、わりかし、繭(まゆ)からさなぎになるような時代を、なんとなくぼんやりいろんな遊びを教えてもらいながら社会へと巣立っていった。なんというか「母性のある時代」だったんです。母性がないと男は育たないんですよね。母性があって、はじめて男は男として生きられるんだけど、今はそこのところがないんでね。

山根:その感覚、とてもよくわかります。

有末:で、僕のことを見つけたその女性がそれから毎日、牡丹灯籠のようにアパートを訪ねてくるようになって。日ごと「私をこうして」と逆に調教されるわけですよ。とにかくどん欲な人だったので、まったく知識がないなかでリクエストに答えながら毎夜必死に縛って。あのとき「太陽が黄色く見える」って本当なんだということを初めて知りました(笑)。

 なおかつ彼女がSM雑誌の編集の仕事をしたいというんで、たまたまその頃、SM雑誌のカットを描く仕事もしていた僕の友達が、彼女を出版社に紹介してくれたんです。結局、のちにその女性がSM雑誌に編集部員として入ったことで、僕も出版社に連れていかれて、プールにつきおとされるがごとく、21、22の頃からいきなりプロでデビューすることになりました。気がつけば、その当時のSM雑誌7、8誌くらいの仕事を全部してましたね。

 でも、当時から不思議と縄の構造が見ただけで全部解析できるなというのはわかってて。たぶん、その分野だけは天才なんだって、若いころから自分でも思ってました。あれから時代も変わり、緊縛の表現方法もさまざまなスタイルができたし、SMの世界もいまはプロとアマとがあって文化的な構造ができてるんですけどね。自分は5年前にヨーロッパに行ったんですが、おそらく向こうに行ったはじめての緊縛師だと思いますよ。

山根:ヨーロッパだと縛り方もまた違うんですか?

有末:違いますね。ヨーロッパは縛る道具も皮と金属ですから。鉄という文化が入るまでは日本は縄なんですね。さっき山根酒造場の酒蔵資料館で拝見した甑(こしき)と呼ばれる酒米を蒸すための大きな蒸し器のまわりも縄だし、相撲の土俵にしても縄でしょ。全部、縄しかないんですよね。ヨーロッパにいくと、「緊縛の縄って何なんだ?」って聞かれるので、日本人としてちゃんと答えられないとマズイ。そうすると結局、神道を勉強しないといけなくなるんですね。

 で、つきつめると日本人というのは、「縄と米の文化」なんですよ。米をつくり、藁(わら)で縄をつくって。それでほとんどが神事なんですね。しめ縄にしても、不浄なものと清浄なものをわける結界みたいな役目があって神聖なものなんですよ。

 ヨーロッパのなかでも特にドイツなんかは、道具なので無駄がなくて合理的なんです。ある目的のためだけに作られている。それに比べて縄なんてのは、一本の縄が多元的に変化していろんなものに変わっていく面白さがある。僕の仕事だと、どんな場所であっても、そこでパーンと縄をひとつ使うことによって、目の前に違う世界をつくることができちゃう。結界をひくことができるから、そのなかではある意味なにをやっても自由なんです。

面倒くさいの効用

山根:有末さんは、いまや映画や本やショーにと、いろいろな媒体でお仕事されていますが、ご自身のイマジネーションを高めるうえで、心がけておられることはありますか?

有末:いまの時代、パソコンでなんでも見られるから、いつの間にかいろんな情報や刺激が入ってきすぎて目から最初にだめになる。それと同時に想像力もなくなっちゃうんですよね。想像力がわかないと猥褻(わいせつ)なものというのは作り込めないんです。だからこそ、いまはそういう情報遮断したりして、意識的に五感を身体に戻すようにしてるんですね。

山根:なるほど、意識的に自分をそういうポジションにもっていくことの重要性はよくわかります。

有末:黙ってたら、いくらでも無駄な情報がどんどん入ってきて、見たくないもので脳がパンパンになっちゃうんで。だからあえてちょっと遮断してラマダン状態にしといたほうが五感がたってくるということはありますね。自分にとっての本能的なことっていうのは、おそらくそういうこと。

 ヨーロッパに行ったときに面白いなと思ったのは、向こうではヘアでもなんでも解禁されているわけじゃないですか。そうすると彼らは見飽きてるわけですよ。見飽きた状態でそんなの見たって興奮しないわけ。でも、だからこそ自分たちにとって興奮することって何なのか? ってことを真剣に考えてるんですね。

山根:えっ、そうなんですか。

有末:ええ、だって興奮しなかったら、女の子を抱きたいなんて気持ちにもならないわけですから。興奮するとか官能的なことって実はすごく大事なことで。だからもう一度意識的にそういう感覚を取り戻そうということで、いろんなワークショップを開いたりしていて。たぶん日本もこれだけ解放されちゃうと、そのうちそうなるんだと思うんですけどね。

 つまり、きのうも若い男の子と話してて、彼らに「何がいちばん興奮する?」ってきくと、「女性がロングのスカートを履いてるところがいちばん興奮する」って言ってましたから。隠されてるということが興奮するわけですよね。なにか抑圧されたり、あえて見せないということの方が想像力がわいて興奮する。官能的なことって、おそらくそういうことだと思うんですよね。

山根:うーん。いやぁ、これはいい話が聞けました。

有末:でもお酒は、舌で味わってみて、舌と脳で感じる訳だけど、それはとにかく飲んでみないとわからない。そこが大事だと思うんですよ。緊縛もそうだけど、体験しないとわからない。なるべくバーチャルなことを排除していかないと五感がたっていかないですよね。

 官能ってたぶん「段取り」のことだと思うんです。いまは男女の出会いも、段取りを全部はぶいたなかで進んでいくじゃないですか。ネットを使えばクリックひとつで女の子と知り合える。だけど、むかしだったら当たり前にしていた、女性と仲良くなるための面倒くさい段取りの一つひとつこそが、本来はドキドキしたりワクワクする作業のはずで。そこをはぶいたら官能っていうのは成り立たない。そう考えるとあえて面倒くさいことをすることこそが官能に通じる気がしますよね。

山根:いやー、つながった! つながりました。面倒くさいってことがまさにそうで。

 毎年うちに酒造りをやりたいってやってくる若いあんちゃんたちが何人かいるんですけど、彼らは面倒くさいことをしたいんですよ。こんな時代にわざわざ酒造りなんて明治時代に開発されたことをやろうっていうね。「もっと楽で給料いいとこ沢山あるでしょ?」っていうんだけど、「日置桜の酒を飲んで、どうしたらこんな酒になるのか見てみたいんです」っていう感じなんです。「いや、面倒くさいよ~」と言うんだけど「それは飲んでてわかります。かなり、いろんなことをしてるんだと思う。それをやりたい!」と。そういう人が反応する酒があって、それが僕のいうエロティシズムともちょっとリンクしてるのかなぁって思ってたんですが、いまのお話を聞いていて、ああつながるなぁと。

食とエロス

山根:僕は食欲とエロスの関係性にも興味があるんですが、有末さんはその辺りどう思われますか?

有末:そうですね。基本的に腹がふくれればいいだけなら、お菓子とかハンバーガーを食べてればいいわけで。でも、そうじゃないでしょと。やっぱり舌ももっと満たされたいと思ったら、工夫と発見が必要ですよね。やっぱりエロスってそういうことだと思うし。

 「自分にとっていちばん興奮することって何か」をまず考えてみればいいですよね。結局、エロスっていうのは何なのかな? と思ったときに、僕の場合は音だったり照明だったりするわけですよね。女の人って灯りの下でしか実態って見えないんですね。ひとりの女の人を裸にしてそこにおいたとしても、蛍光灯の下でエロチックに見えるかというとそうは見えない。やっぱり行灯(あんどん)の光で見たりとかものすごく音も静かなところで見たりとか、意識的に条件を作らないと官能って立ってこない。だから、自分にとっての一番感じるものってなにか、ということをまずひとつ考えて絞り込んで、そこに向かっていくことが大事なんじゃないかなと感じてます。

山根:僕も酒をつくるときに、完成形をイメージしてそこに近づけていくんですけど。なかなかその通りにはならないですけど、でもそっちのほうがうまくいくパターンのほうが多いですね。

有末:僕もそうですよ。ショーをやるときは、だいたいの漠然とした設計図を作って、それにむかって音楽だったり、照明だったりを組み合わせてやっていくわけですよね。

山根:音楽はどういうジャンルのものがお好きなんですか?

有末:僕はジャズでもなんでも聴くんですけど、いまは雅楽をやってる人たちと一緒に仕事をしたりしていますね。それも、もうあんまりアマチュアとはやらないですね。絶対的に自分と同じレベルの人と仕事をしないとどっちかが補うような関係性になってしまうから。なにもしないでも、お互いがお互いで立っているというような感じがコラボとしては面白いですね。

山根:たとえば、誰かからリクエストを出してもらってやることもあるんですか?

有末:むしろ相手の要求にこたえる仕事の方が多いかな。相手の投げたボールを返してあげるみたいなね。僕は縄を使った料理人みたいなもので、なにか素材を出してもらって、それを自分流に料理する。その料理した内容が面白いかどうか?というか。

 自分の世界だけでやってるとどうしても限界があるし、押しつけがましくもなりがちで、それではつまらない。僕らの世界であれば、見てくれた人が満足してくれればいいわけで、できるだけ自分をなくして黒子(くろこ)になって相手が出してきたことを拾ってあげるという、無心な状態でありたいですね。

 ほんとそこだけが大事な世界なんです。だから、けっこうどんな人が来ても、わりかし大丈夫なんです。できるだけ、開かれた状態の自分でいたいですね。

一緒に走る

山根:有末さんもチームでお仕事されるときが多いと思うんですが、僕らの仕事もまさにチーム仕事で。トップが突発的に「淫美な酒を造りたい」なんて思ったときに、こうすればできるという方程式もわからないなかで個人のイメージを蔵人みんなで共有してやっていこうとすることは、ほんとに途方もない命題で。でも最近、みんながわかろうとしてくれる意識ができてきたのを感じています。

有末:トップが自分のイメージや意志を伝えるのは、とても大事なことですね。いままで誰もやってないことだから、無駄なようでもトップが走りながら試行錯誤しながら伝えるしかないんでしょうね。

 さっきの面倒くさいという話にも戻るけれど、言ってみれば人と会うことも、なんか面倒くさかったりするじゃないですか。でも面倒くさいと言ってたらなにも生まれないわけで。人と会ったから、こんな面白いことがあったとかね。それが意外と仕事に結びついたりもして、それが喜びだったり感動だったりする訳です。

山根:無駄なことをやらない人間に面白いとこってないですから。必要な無駄はありますよね。いまはこういう時間を与えてもらえていることが有り難いなと。人は人でないと磨かれないっていいますけど、ほんとそうだと思うし。悩みもがき苦しんで泥臭いことをやってる人間同士だからこそ、共感できるところがある。やってる行為は違うけど、見ているベクトルは同じなんですよね。

 有末さんは今見ている世界だけで満足しないで、さらに一歩先の世界を見ようとしているのがわかるし、これからどういう展開があるのか大変興味があります。ベンチマークしてこれからの活動を拝見してゆきたいです。人って指標になるものがないと、そのへんをただ彷徨(さまよ)っているようなものですからね。自分の立ち位置を確認していくときに、有末さんは灯台みたいな存在なんです。

有末:同じ業界でなくていいから、刺激を与え合う存在は必要です。違う業界だからこそ感じる発想とかもあって。小さい常識、小さい村でまとまらないようにしたいですね。

山根:有末さんは60歳という年齢を超えて自分のモチベーションが維持できるということが、本当にすごい。自分がその年になったときに同じようにできるかというと正直自信がないわけですよ。自分なりにこれまでも、失敗は許されないなかで飛ばしてきたという思いはあります。失敗は許されないけれど、でも他のところと同じことをしていても絶対に残っていけない。そのことだけは感覚的にわかるから追い込まれていったんですけど……、実は追い込まれていってる自分が別に嫌いじゃなかったんですよね。周りから期待されて「次は何をやるんだ!」と思われることを発奮材料にして走ってきました。でも、じゃあそれがこの先、五年十年続くか、というと、すでにヒーヒー言ってるところもあって……。

 これまでいろんな失敗もしてきたし、逆をいえば失敗をくり返すことで絶対に外さない部分もできてきたと思いますが、年を重ねていくとですね、リスクを負ってそのポジションにいく気力がどうもなくなってきているな、と感じることもあって。だからこそ、今の有末さんの年代の方がそれをやってくださるんだったら、俺もまだまだやらなきゃな!と、思わせてもらえたというんでしょうか。有末さんとの出会いで、新しいアイデアの引き出しがひとつ増えたような気がします。きょうは、本当にありがとうございました。