これからの酒づくりを考えるにあたり、蔵元がいま会いたい人たちとお酒を酌み交わしながらお話を伺うこの企画、2回目はライターの藤田千恵子さんをお招きします。今回は料理家の山根明子もお話に加わりました。
純米酒の復興期に日本酒に出会い、以来、言葉によって酒づくりの現場に伴走してきた藤田さんは日本酒ライターの先駆けともいわれますが、同時代をともにした蔵元にとっては“戦場カメラマン”のような存在でした。
戦時の米不足を背景にアルコール添加酒が広く普及していた1970年代、純米酒を造ることは、今では考えられないような「常識」との闘いでした。
「日本酒の戦後を終わらせたい」と願い、純米酒だけを醸造する全量純米蔵への復帰を初めて実現したのが一昨年の4月に逝去した神亀酒造蔵元・小川原良征さんです。自蔵の酒造りの時期であっても全国の蔵元の応援にかけつけて、惜しみなく醸造の知識を提供、共有し、各地に純米酒を根づかせた小川原さん。その酒づくりを1980年代中期から藤田さんは見つめてきました。
今宵のテーマは「物に命が宿るとき」。小川原さんはなぜ多くの反対にあいながら自らの信じる酒を造ることができたのか。純米酒復興の道のりをふりかえりながら、物づくりに宿る命を言葉で表してきた藤田さんと、その原点を考えます。
- 酒粕と甘酒——活用不足でもったいない
- 自分がやるべきこと——いま、何をやろうかなと
- 発酵と腐敗の間——自分を大事にするとは
- 創ることは壊すこと——再現性と一回性
- 新しい「和醸良酒」——続けていくために
- ひとりの感覚から始まる
- 成熟——朽ちて生まれ変わること、命をちゃんと使うこと
[2017年6月収録(18年6月追加収録)|全3回掲載]
ゲスト:藤田千恵子(ふじた・ちえこ)さん
ライター。酒と醗酵食を中心に日本の食と生産者を捉えた数々のフードライティングを発表。雑誌寄稿多数。日本酒の魅力を発信するだけでなく、同時代の酒造りに携わる多くの人々を鼓舞してきた。著書に『愛は下剋上』(NTT出版/ちくま文庫、1992年)『日本の大吟醸100』(2001年)『杜氏という仕事』(ともに新潮社、2004年)、『これさえあれば―極上の調味料を求めて』(文藝春秋、2006年)、『美酒の設計』(マガジンハウス、2009年)など。現在『あまから手帖』に「イッポン!」、『住む』に「蔵のたからもの」連載中。2004年より長野県原産地呼称管理制度日本酒官能審査員。日本の醗酵食品と日本酒を共に味わう「醗酵リンク」主宰。
酒粕と甘酒——活用不足でもったいない
藤田:日本酒は飲む点滴みたい。どうして飲むと元気が出たり威勢がよくなったりするんでしょうね。
山根:日本酒とワインだと会話のテンションが違うかも。日本酒の酔い方には、なにか人間くさいところがありますよね。
藤田:山形のイタリアンレストランの「アルケッチャーノ」の奥田政行シェフが、人の悩みごとを聞く時に飲むのは日本酒だと話されてたことがありました。元気も出るけど、気持ちも緩む。日本酒は人の気持ちに寄り添うお酒ですね。
でも、日本酒を飲めない状況もあるわけで、そういうときには、酒粕ですね。日本酒は元気な成人女子男子のためのものですけど。でも酒蔵の醸造技術は、日本酒を飲めない人たちも助けてくれるんですよね。
私は父が病気になったときに、酒粕は病人にも優しい食べ物だなぁと思いました。父は抗がん剤治療の途中で食欲がどんどん落ちてしまった時があったんです。その時期に神亀酒造に行ったら、小川原センムさんが「お父さん、どうだ?」と気にかけてくれて。「もう食欲がなくて全然食べられない」と言ったら「俺がいいもの知ってるから作ってやるよ」と。冬だから酒造りの最中の忙しい時期だったんですが、塩漬けの鮭の頭と大根と酒粕を合わせたものを台所でコトコト煮てくれて、それを大きいタッパーにいれてくれた。それを持って群馬の父のところに届けたら、父はセンムさんのことを尊敬していたし、美味しかったのもあって、すごく食べたんです。その時期、担当のお医者さんからは、抗がん剤治療も続けられないといわれるくらい弱っていたのに、それを機に少しずつ食欲も戻って、お医者さんが学会で発表したいと言うくらい元気になったの。
山根:へー! すごい!
藤田:そう、私もほんとにすごいなと思いました。酒粕も、人の思いも。それで酒蔵の醸造技術を元気な成人男女だけに使うのは本当にもったいないなーと思いました。お酒になる前段階で麹があって、後段階で酒粕があって、それは病人や老人にも優しい。私なんか、特にそうですが、美味しいと気持ちが盛り上がるし、まずいとほんとに盛り下がる。人間としてどうだろうと思うほど。
明子:はい、その気持ちよくわかります。私もまったくそうなので(笑)。
藤田:美味しくないと、ガクッとなりますよね。気持ちも荒んでくるし。だけど、美味しかったら目が星になります。病気の人にとっては、なおさらのこと、食事の質は本当に大事。なのに、おいしくない病院食を我慢して食べなければならないことも多いですよね。
父は人間としてほんとなんのわがままも言わない人でしたが、病院食がまずいからだんだん元気がなくなっちゃったんですね。でも例えば、麹の甘酒だとか、すごく美味しいし、力になるわけですよ。飲む点滴だから。こんなに美味しいものをどうして病院で出さないのかな、と思いました。食欲がある人ばかりでもないし、でもとりあえず甘くて美味しくて爽やかで。甘味っていいじゃない、人を甘やかすって言葉があるくらいでね。
明子:甘いものには、緊張をゆるめる働きもありますしね。
藤田:どこの病院でも地元に酒蔵さんがあるなら麹はみんな持ってるわけじゃないですか。だったら麹の甘酒を病院で出すとか、学校給食で出すとか、これから育っていく小さい人、病気療養中の人、あとご高齢の人と……酒粕と甘酒は本当に使えるのになーと。
東北の震災のとき、現地ではお酒を飲むことで気持ちがすさむ人や悪酔いしてしまう人も出てしまうのではないかという心配もあって、しばらくお酒を提供するような状況ではなかったようなのです。そのことをセンムさんに話したら、秋鹿の奥さん(大阪・秋鹿酒造)と奥播磨の下村さん(兵庫・下村酒造)と協力しあって百キロ単位で酒粕を提供して下さったんですよ。それをボランティア活動で届けて下さった方からのお話だと、現地の方々は、みなさん、その酒粕を溶かして温めて飲んで、とても喜んで下さったようなのです。菓子パンとかカップ麺ばかりを口にしなければならなかった状況で、酒粕のように栄養価が高くて元気が湧くものが届いて。
これは、日常生活の中でもいえることで、病気の人や疲労困憊で身体が弱ってる人に向けても、酒蔵の技術を生かした麹の甘酒や酒粕は活用できるのではないかと思います。
明子:山根酒造場には麹の甘酒はないのですが、板粕と熟成粕があります。私も酒蔵に関わるようになってから、酒粕の持つパワーには驚かされています。そして最近は、酒粕の魅力に気づいた人たちと、情報交換するのが面白くて仕方ない(笑)。ただ、現状では酒粕の持つ本来の素晴らしさは、まだまだ一般的には認知されていないし、多くの酒蔵では厄介者扱いされたままですよね。これは本当にもったいない。
でも、多分こういうのは変に説得するより、実際に楽しんで使って見せるのが一番かな?とも思うので各地で酒粕WSを開いたりしています。
自分がやるべきこと——いま、何やろうかなと
藤田:日本酒を愉しむことで幸せな気持ちを味わう人たちを近年たくさんお見かけします。イベントや飲食店のお酒の会も増えていますね。
山根:そうですね。確かにそうなんですが、一方で広がりが少ないなとも思います。これだけイベントにたくさん出ても、同じ人が多いというのはどうなんだろうと。本来はもっと輪を広げようと思ってやってきたはずなのに、結局それぞれのイベントが安全マージンをとって、新しいことや新しい人を呼ぶことにトライしていないような気もする。それで気持ちが萎えてしまうときもあります。
僕は、変な話、緊張感がないとダメなのかもしれないです。同じことをしているのが面白くないというのか、飽きっぽいのもあるんでしょうけど、酒も去年と同じもの造ってても面白くないという感覚が強かった。なんか違ったことをしたい。体調のこととかも考えると、あと十年酒造れるかなぁ、これから何をしようかなって。特に、センムとお別れしたときに、余計その感覚が濃くなりました。
藤田:50代になると残り時間を勘定するようになりますね……。だから今までは、わりと人に巻き込まれやすかったのですけど(笑)、でも今はもうほんとに飲みたい酒、ほんとに食べたいもの、ほんとに会いたい人、ほんとに行きたい場所。それを確認するようになりました。残り時間は少なくなってきてますから。
山根:体力も落ちるから。
藤田:そう、だから今、私はこれから何をやろうかなって考えてます。ライターという仕事をもう30年以上やってきて、ここ数年は「今はもう日本酒のことを書く人もいっぱいいるし、私なんかが書かなくても」という気持ちになっていました。でも、ある時、家の本棚にたくさん入っている本を片づけながら、あっ、でも「数じゃないな」と。たくさんあるから、もういいということではない、と気づかされて。
こんなにたくさん本を書く人がいるから自分は書かなくてもいいという理屈でいくと、こんな何億人も人は生きているんだから、自分は死んでもいいって理屈になっちゃうじゃないですか。で、「そりゃおかしいだろ!」って思って。何億人いようが自分は自分だろって、ようやく思えたんです。人間は、身体を持って生きていて、食べることというのは生きている限り、離れずに続くこと。日本酒を飲むことは生きる上での喜びだし、その食と酒を伝えるのが文章だとしたら、その仕事をなんでやめることがありましょう、とようやく思えたんですね。
発酵と腐敗の間——自分を大事にするとは
藤田:人間のいじらしさのひとつにヤケになるっていうのがあるでしょう? ヤケになると、いいとわかってるものから遠ざかるよね。
明子:ヤケになる=やさぐれるってやつですね。
藤田:そう、その感覚は何度も味わってます。
明子:でも、そういうときに美味しいお味噌汁を一杯飲んだりすると、ハッとしたりするんですよ。
藤田:そうなんです。だから弱ってるときほど、まともなものの近くにいくのがいいっていう……。いま承認欲求みたいな言葉もよく聞きますが、人から認められたいという気持ち以前に、結局、自分を自分で肯定できないときというのは、食べることや自分をいたわること、細かいけど大事なことというのは、どうでもよくなってしまいがちだと思うんですよね。自分のことを他人のように大事にすることって本当に大事なんですよ。
明子:それが一番難しい。
藤田:自分を大事にできているかどうか、食べることはバロメーターになりますね。たとえば、自分の妹だったらどう接するかなと考えたときに、妹がとても疲れて帰ってきたときにファミレスに連れていったりしないでしょ。温かいご飯を作って食べさせる。だったら、それを自分にも。
私はずっとフリーランスで生きてきたのですが、組織に入っていないので一人だからこそ福利厚生委員みたいな面を自分のなかに持たないといけない。「藤田くん、最近疲れていないか?」「はい、疲れています!」
明子:ひとり二役!(笑)。
藤田:「温泉に行きたいか?」「はい、行きたいです!」みたいな(笑)。自分自身だと思うから邪険にしてしまいがちだけど。それはひとり暮らしのときによく思ってましたね。自分を他人のように大事にしたほうがいいと。
明子:私も家でひとりで食事するときは、「まぁ一人だし、ちゃちゃっと食べちゃおう」ってなることもあります。他人がいてくれるから重い腰をあげられる、という面がある。でもそれだけじゃなくて、自分ひとりのときでも大切にできるというのが、本当は大事ですね。
藤田:簡単でもちゃんとしたものを食べる、っていうことは大事ですよね。やっぱり、自分を大事にすることの基本というのは、まずは食なんですよね。
仕事で集中しているときって、食事作りどころではなくなって、ああ、もう、今夜はアンパンかじるだけでいいから仕事を仕上げてしまいたい、と思う。だけど、やっぱり家に帰って食事をつくるようにしたりとか。
小川原センムさんから聞いたお話ですが「よし坊、よし坊」って可愛がってくれていたおばあちゃんが「今日のご飯が明日の体だよ」と言われていたって。矢野顕子もそう歌ってますよね。「食べたものが私になる」って。
明子:そんな風に、愛情注いで気にかけてくれる人がいるってことの有り難さって、後になってわかりますよね。
藤田:時間がかかりますけどね。自分に愛情をかけてくれていた人に思いを馳せることで「自分を大事にしよう」という気持ちも湧く。この歳になってようやく「自分を大事にしよう」と心底思えるようになりました。残りの人生どれくらいあるかわからないけど、自分の周囲の人たちと一緒にこの辛い浮き世を励ましあって生きていきたいなと。
明子:楽しむことに罪悪感を覚えて生きてくる時間が長いと、楽しいということが怠けていることのように感じてしまうことがありますね。むしろ苦しいことを選ぶほうが、正しい道で。今は辛くてもきっと報われるときがくる、って謎に思い込んだり。
藤田:私もそうだったんだけど、苦しいことを選ぼうとするなら、なおさら楽しみがいるよね。
明子:そうです、そうでないとほんとやさぐれて世を恨んで生きるようになってしまう。どんなに辛いことがあっても腐らずに、発酵(醗酵)していけるといいんですけどね。
藤田:発酵と腐敗の違いって、何か知ってますか? それを最初に聞いたときに「えっ」と思ったんですが、すごいシンプルなんです。小泉武夫先生*1に取材をさせていただいた時に「発酵と腐敗の違いは何ですか」と聞いたら「人間に有用なら発酵、有害なら腐敗」って。え、そんな簡単な、もっと深遠な違いがあるのかと思っていたんだけど。そんな人間の都合でいいんだってビックリしました。
明子:『極上の調味料を求めて』(2006年、文藝春秋)のあとがきでは「醗酵とは、命の生き直し。より強く生き直すこと」とも書かれてますよね。この言葉がずっと気になっていて。どうして生き直すことになるんでしょう。
藤田:発酵という過程を経ることで「もっと生命力が強くなる」と感じたんですよね。食物が本来持っている力を無駄にしないで使うだけではなく、さらにパワーアップさせる発酵というのは、すごいことだと。
たとえば、単に煮ただけの豆よりも、発酵という過程が加わって味噌や納豆になると、栄養価も高まり、消化も良くなり身体への吸収力も高まる。さらに保存力も高まる。物を腐らせないだけじゃなくて食物としてパワーアップしている。
明子:酒粕にしても野菜や肉をただ冷蔵庫のなかに置いておいたらどんどん朽ちていくだけのものが、粕床につけた時に時間軸が変わってきますもんね。
酒粕はアルコール分も含んでいるから、それが天然の保存料のような働きをして腐敗に進まず、食材の命が延びる。かつ、旨味やコクが増して味が凝縮される。食材そのものが持っている本来の良さが引き出されながら、麹菌由来の酵素との関わりの中で、そこに付加価値が生まれるのが面白い。
それになにせ漬けちゃえば、あとは勝手に美味しくなってくれるので、私のようなズボラ人間には強い味方です。
藤田:生鮮食品だけなら朽ちてしまうものを発酵の技術が救っていますね。
明子:発酵はしかも、次に熟成という世界も入っていきますよね。腐らないだけじゃなくて。熟成っていうのはどういうことなんでしょうか。
藤田:発酵というのは変化、熟成というのは味の完成に向かっていくことなのかと——
魚醤でいえば、魚と塩だったものが魚醤になるまでが発酵、そこから先は口に入れられるんだけども、なおかつ塩角が取れないとまだ美味しくはない、という、ある意味いじらしい理由で置いておく。そして味がなれていくのを待つ。お酒もしぼりたての状態でももちろん美味しく飲めるものはあるのだけど、酒質によっては熟成によって分子構造が変わっていくのを待つ。「熟成」というのは、より人の口に馴染みやすくなる、取り入れやすくなるということでしょうか。分離してバラバラだったものが集合体として成立していくのが熟成だろうかと。人間関係や人間の仕事にも当てはまるものがありますね。熟年、とか、円熟した演技、とか。
明子:ああ……。自分がどうしてこんなに発酵に興味が湧くのかわからなかったんですけど、おそらく人間社会とのつながりがあるから興味が湧くんだと思うんですよ。微生物というものの生き方が面白いなと思って。
藤田:私が人間と似ているなあ、と共感を覚えてしまうのは、清酒酵母の働きですね。清酒酵母って糖を分解してアルコールを生成したあとは、自分が作り出したアルコールの中で死んでいくでしょう。仕事を終えて役割を果たして自分の産んだものの中で死んでいくっていうのと、聖書の中に書かれている「一粒の麦もし死なずば」*2という言葉は私の中では同じことのように思える。みんな自分の役割を果たして、一度は死んで、また別のものになっていくという、何かそれは個体ではなく共同体の営みそのものなんですよね。
創ることは壊すこと——再現性と一回性
藤田:詩人の中原中也が、悲しみのさなかには「奉仕の気持ちになることなんです」と。若い頃は意味がわからなかったんだけど最近ちょっとわかる気がする。自分のためだけなら、もういいかなと思っちゃうけど、もしかしたら人様のために何かできるのなら、もう少しやれるのかな、とか。生産性とか、そういう言葉にしちゃうと違うように感じるし、人は何かの役に立たなきゃダメということではないんですけど。お酒造りのような大変なお仕事は、逆に自分のためではなくて、人のためだからできるというような側面はありますか?
山根:飲む人のことを考えて造るのは当たり前なんですけどね。最近、あえて吞み手のことを考えるのはやめようって思っているところもあります。どうしても長くやってると、自分のところのお酒の吞み手の顔も、ときに浮かんでくるときがあるわけですが、安心感とかで語られる蔵にはなりたくない偏屈な性格もありまして、彼らの発想をどう裏切ってやろうかなって考えることはあります。
藤田:それは面白いと思います。周囲からイメージされている「日置桜」があって、そこから出ようかなって感じですか?
山根:それも含めて。〝再現性〟は完全に無視するっていうのは決めたんですが、じゃあ言うは易しだけど、いろいろ考えてじゃあどうするか?と。
素材はちゃんとしてないといけないから米には一生懸命になる。あと、職人の労働環境も含め、トータルのマネージメントが必要です。相当広く考えていかないと、世界観をもっと広くするようにしないといけないなというところにどうも落ち着きそうになっているんですが。米を作っている人の家族環境にはじまり、面倒くさくてもいろいろ見ていかないと、去年より面白いものはできない。実はけっこういろんなことを巡って巡って考えてたり。
「再現性」というのは、最近我々の業界でもよく聞く言葉なんですよ。再現性を実現するためには、ある程度のところで妥協点をとっておく。ここまでしちゃうと、同じようにならない、っていうのがあって、あるその年だけ、ガッーとエネルギーを突っ込んでやっちゃうと、それと同じエネルギーを翌年かけても完成できるものって同じにはならないんです。ある程度、ファジーにしておいたほうが同じようなものができる。
藤田:一般的には、再現性を実現するのが高い技術であるというようなイメージはありますね。
山根:やっぱり〝見えてる〟部分があるから、再現性って言葉が出てくるんだろうと思うんです。どうも自分の感覚の中で……。それだと面白くないっていうか、見えないままで、その年にできることを全部やってしまったらどうなのか、そうでもしないと見えない世界があるんじゃないかって。そんな感じでやってきたんですが、ただ、それを一人で突っ走って追いかけるだけでいいのかなっていうことも、最近考えるわけです。
藤田:お酒造りは、一人だけのものづくりではないですものね。
山根:そう。それはいろんな意味でそうで。
今、おつきあいさせていただいてる農家さんが「今年の米はどうでしたか?」って心配で心配でしょうがないって風にたずねてくれて、そういう風に作ってくれるお米って、本当にいいんです。よくぞここまでっていうのが本当によくわかるし、おそらく相当頑張らないとできない。いかにすごいことかということが、我々にはわかるんだけど、普通にお酒を飲んでる人にはわかんないじゃないですか。いかにこの人がすごい米を作ってるか、というのを伝えないといけない。だからやってしまう。
でも反省もあるんです。毎年全力疾走になってしまうと、やっぱりいろんな人に負荷がかかるんですよ。蔵人にも賄いの人にも。自分の体にも負荷がかなりかかっていて。そんなんじゃ続かなくなる。全力疾走って、ずっとしている全力疾走できなくなるんですよ!
それに、お米のことを一生懸命考えるのなら、人のことも自分の身体のことも一生懸命考えないといけないんじゃないか、同じことなんじゃないか。ちょっと自分の中で、自分一人で「来いやー」って言ってるだけでは、もう続いていかないのではないかという、気持ちもあります。どうも自分も生き急いでいるというのかな……。どうバランスをとったらいいのかわからないですけど、ほどほどにしておいたほうが続けていけるのかな。
明子:でも、ほどほどなんてなんにも面白くない、って思ってこれまでやってきたんでしょ?
山根:そう、面白くない。面白くないというか、自分が面白くないと思ってたら、面白いものを期待している人には届けられないです。
藤田:面白いと思ってない人が面白いものは伝えられないですよね。
山根:でも、それじゃその「ほどほど」というのが、単に妥協なのかというと……ここがどうもそれだけでもないのではないかというのが……。一緒にやってくれる人たちも、当然、ずっと同じ体力じゃないですし、「続けていく」「続けられるのか」ということもね、大事でしょう?
歩むスピードが変わると、見えてくるものも違ってくるのかなって。それがいいのかどうかはわからないけど、でも、全力疾走のときは見えないこと、遅いときには見えないこと、それぞれあるのかもしれないです。
明子:私自身もこれまでの仕事のやり方は短距離走者そのもので。倒れても全力疾走でいく!みたいに思っていた時期も長かったんですが。最近はやはり継続性ってことや、全体との調和をどうしたって考えないといけなくなってきました。昔みたいに勢いだけではやれないから体と相談しながら、休むことも仕事のうちです。でも、それと同時にやっぱり公私を分けずに自分の丸ごと全部で向き合うからこそ、初めて見える景色もあるなとは感じています。
新しい「和醸良酒」——続けていくために
明子:酒蔵には「和醸良酒」という言葉がよく書いてあって。なんとなくずっと表面的な言葉ヅラだけを捉えていたんですけど。いつだったか「あれはね、どこの蔵もいわば男社会で、〈和醸良酒〉ということが実はすごく難しいからあえて書いてあるんだ」って聞いたことがあって。なるほどなと思いました。酒蔵の職人的な仕事を貫いていくうえで徒弟制度のよさや必要性も、もちろんあるのだろうけれど。それがお互いの信頼関係というベースが出来上がる前に、閉じられた空間の中での単なる上下関係の押しつけみたいになってしまっては、これからの世代の人にはまったく馴染まないでしょうし。
蔵人がいいお酒を作るために、それを下支え(したざさえ)するための女性たちの賄いがある、という形ももしかしたら同じことの裏表で、そういった仕組みそのものが成り立ち難くなっていくのかも、と最近は思うようになってきました。
山根:難しいです。うちみたいに昔ながらの住み込みということでやってるところと、8時5時で1年中お酒を造ってる会社とあるでしょ。8時5時で造ってるところが、美味しくないかといえば、そんなこともない。うちみたいなところは、一種合宿のような形でワンシーズン、チーム編成で寝食を共にしていこうっていう、昔ながらのやり方。どう考えてもコストも桁違いに上がるし、会社みたいでありながら人間臭い。そういうお酒の方が、人間臭いところを感じる。安心があるんです。そうじゃないところが美味しくないというわけじゃないんだけど、なんかちょっと、〝人っぽさ〟っていうのが薄く感じるというのか……
それはあるとき気づいたんですよ。いろんなお酒を同業者で飲んでいたときに、飲んだ感覚でそれぞれ分けていったら、「ここは住み込みで、ここは通いで」って綺麗にわかれたんです。あれ、なんなんでしょうね。
ただ、住み込みでね、昔ながらの形でこれからもやっていけるのは、人が集まるという意味でそこそこの地方都市で、酒造りの自然の環境もよくて——となると、これからそう多くはない。じゃあどうしたらって、ほんと難しい。
明子:酒は生きていて赤ん坊のようなものだから、そう考えたら8時〜5時だけで面倒みるってのはできるわけがないでしょ、というのを聞いた時には確かにそうだと思いました。でも、実際に社長をはじめ蔵や工場の人たちが少人数で、かなり体を酷使しながら働いている様子を見ると、どうするのが本当にいいことなのかは、正直よくわからないです。酒も生き物だけど、造る方も生身の人間だから。有機農法で野菜を育てている人が、消費者に安全で美味しいものを食べて欲しくて、頑張って。頑張り続けて自分が体を壊して、みたいな話もよく聞きます。
やはり作っている人が無理をし続けていると、絶対どこかで歪みが出る。下手すると、そういうところからお酒の文化が、廃れていってしまうかもしれない。単純には答えが出ないです。
藤田:単純ではないですよね。農村の変化もあるし、人材不足ということもあるでしょうし。30年くらい前までの農村出身の杜氏集団しか私は知らないけれど、男社会の中でも女房役がいたというんでしょうか。やっぱり人格者というのか、男の人であっても母性というのか、女性的な気配りがあって。人って完成されていく時に両性具有みたいになっていくところがあると思う。なんというか役割分担なんか押しつけ合わないっていうか。「お前女だろう」とか「男だろう」って絶対に言わないとか。
明子:そういえば蔵の中に、男性でも料理もかってでて、みんなが楽しそうになるためにはどうしたらいいかってことをいつも考えているような人がいるときって、なんとなくうまく回っているのかも。それはその人が陰できっとさりげなく愛情を配っているからで。だから本当にいかに男性の中にも女性性というものがバランスよくあったり、女性の中にも男性性がちゃんと立っていたりっていうことが大事かってことは思いますね。
藤田:自分の性別に甘えないっていうのかな。目に見える性別じゃなくてね。一人の人の中で。それが成熟っていうことかもしれない。
山根:成熟っていうことかはわからないけど、徳をもってるっていうのは、そういうものかもしれないですね。男でも女でもね。
明子:女性が自分の中の男性性を立てると、男性側も自分の中の女性性を出しやすくなって、結果、不思議と歯車があってくるってことはありますね。こういう陰陽反転現象っていうんでしょうか、これからもっともっと起きてくるんじゃないかと思います。そして、男はこうあるべき、女はこうあるべきとか。もっといえば社長や杜氏、蔵の嫁はこうあるべきっていうような、これまでの世間の型に囚われ過ぎると、変な力みが出て自分も周りもしんどくなるので。そこも、もう少し自由になれるといいですよね。
藤田:自分で自分を「性差による役割」みたいなことに押し込めがちだけど、そこから抜けてからのほうが人生は面白くなりそうですよね。
ひとりの感覚から始まる
明子:「疲れる」とかも、言葉だけ聞くとよくないことのように思いますが、そういう内側の本音をちゃんと聞くってことは、とても大事だと思うんです。自分の内側がわからないと、人の感覚もわからなくなるし。それを押しこめて物をつくっても、なんかずれてきちゃうんじゃないかな? 我慢強い人って、無意識に人にも我慢を押しつけることもしやすいから、結構危険なんですよね。俺がこんだけ我慢してんだから、周りも我慢するのが当たり前でしょってね。我慢できない奴は「弱い奴」ってなりがち。でも、本当にそう?って。
藤田:要は自分の欲求や痛みを見逃さない。だから今私ちっちゃいところからその癖をつけてるんです。トイレ行きたいと思ったら人を待たせちゃうから悪いとか思わないでトイレに行く、とか。これ食べたいと思ったら食べるとか。そういえば、小川原センムさんって、基本的に我慢強い人でしたが、でも、食べ物がまずいと怒り出したり、元気なくすような人でもありましたね。
明子:なんと無垢な……。
藤田:そこはすごく貫いたところだと思います。人間としては我慢強かったけど、そこは我慢しなかったというか、そこが正直でブレないから、あの純米酒を造れたのかな。やっぱり動物としての原始的な感覚を保って、美味しいもの食べるとか美味しいものを飲むとか。そういうことで成し遂げた仕事というところはあるんじゃないかと。
明子:センムさんは「温めて飲んだほうが美味しい」ってことが、まだ世の中で全く当たり前ではない時代でも、自分個人の体の感覚を信じて一人ブレなかったわけですしね。そして、その感覚を独り占めせず、だんだんに仲間を増やしていかれた。
藤田:そうそう、自分の感覚を大切にしていました。そこが出発点だった。
明子:そういう野生の感覚みたいなものをちゃんと残したまま進んでいかれたからこそ、多分色んなものが味方してくれたんでしょうね。きっと森羅万象の目に見えないものたちも含め。
藤田:だからセンムが本当に元気をなくしたのが病院食を食べなければならない時でした。病院食が美味しくないから、元気がなくなってくる。その時に「これから俺いろんなものと戦わなくちゃいけないだろ。そんな時に、これ(病院食)じゃあな」って。なんか、そういうとこ、いじらしい人だったなって。
明子:それくらい我慢して、とかワガママだとか言われそうだけど、そうじゃないってことですよね……あー、でも、そう言われると蔵の賄いもそういうことなのかもしれないです。「酒造りで俺らは毎日しんどいなか戦ってるんだぞ」って気持ちも強いでしょうから。
前回の造りでは私を含め、女性三人で賄いを回していたんですが、なかなかね、蔵人とのコミュニケーションを含め決してうまくいくことばかりではなかったです。みんなが満足って、本当に難しいなと思いました。それに賄いを作っている側も、生身の感情のある人間なんで。言われ方次第では、腹も立ちます(笑)。伝え方ってのも、大事ですね。
いずれにしてもそもそも賄いというシステムそのものをどう位置づけるのかってことも、考えないといけない。
でも、そういう内側の本音をね、ずっと溜め込んでこじらせて変に爆発させる前に素直に言葉にできるようになったら、色々変わるのかもしれないです。他人の顔色伺って我慢しあっての予定調和ではなくて、だれかが本音を言って本来の姿になるからこそ、ほかの人も本音が出しやすくなる。それでそれぞれが適切な配置についていけるっていう。
藤田:好きなあまりに我慢していると、だんだん、好きなものも嫌いになってしまうということありますよね。だったら、我慢しないで口に出せるという環境を作るためにエネルギーは使ったほうがいい。
成熟——朽ちて生まれ変わること、命をちゃんと使うこと
藤田:生き物は成熟を目指して生きていくんですよね。やっぱり青いまま未成熟でいるのではなくて野菜も果物も熟したあと枯れて命を終えていく。自分もそうあれたらとは思います。生きているからには、なんらかの役に立ちたいっていう素朴な欲がありますね。そのために仕事もしたいし、そこまで成熟してから死ねたら。
山根:この先、10年、20年と、どれほど酒が造っていけるかなって、よく考えるとわからないです。年齢のこともありますが、気象状態もどうなっちゃうかわからない。人も変わるし、自分も変わるし。
藤田:ああ……。10年、20年、と言っても、すぐ結果は出ないですからね。
山根:そうです。だったら今できることは、悔いのないようにやりたいです。あと「昔は良かった」っていう年寄りにはなりたくない。ひと昔前って、日本酒が輝いてた時代っていうのが確かにあったと思うんです。でもそれでみんなで集まって「昔は良かったな」「あの時代に戻りたいな」とは言いたくない。神亀さんだけは、そういう言葉を使わなかったのね。
藤田:みんなそうだと思うけど、山根さんも最初は農大に入るのにひとりで東京に出ていったわけじゃないですか。それから30年くらいたって今の山根さんになるまでにいろんなことされたと思うんですけど。今考えて動かれることもまた先の山根さんになっていきますね。
私も最近思い出すと、あっ、ひとりで東京に出ていったんだな、と。東京には知り合いもいなかったし、仕事どころか学生だったし、でもいろいろやってるうちに今の自分になったんだと。いまの自分がすごくいいとはまだ思えないけれど、でも全部積み重ねですよね。それは本当に決めないと来ないっていうか。なにかがあったからそうなったというよりは、自分が決めてうごかないと何も来ないなっていう風に思う。
明子:それはほんとにそうですね。場が整うまで待って場が整ったら動くなんて受け身でいたら、たぶんそれは永遠に叶わなくて。場は整ってないかむしろ向い風に見えても、でも自分はこう思うからやるんだって決めてはじめて物事が動き出すってことは沢山ありますね。
私は酒粕は日本人の固定観念の象徴みたいな食べものだなと感じていて。たいていの方は「甘酒と粕汁以外の使い方がわからない」というイメージでフリーズしておられますが、美味しく食べて腸内環境を整え、塗って外から肌を潤す。セルフケアに有効なお薬みたいな存在だと思っています。
そして酒粕のそういった働きを敏感に感じとって、最近ではセラピストのかたたちが、山根酒造場の酒粕に興味を持ってくださっています。これから先は、酒粕の使い方や魅力を伝えられる仲間たちと、ゲストハウスやカフェ、料理教室や施術所など、地域の人の集まる場所に、ガソリンスタンドならぬ「酒粕スタンド」を設けて、量り売りでの「酒粕の分かち合いの輪」を広げていきたい。はじめは人に話しても妄想話のように笑われて終わりでしたが、すでにちょっとずつ現実化していっています。
藤田:山根さんは? これから造りたい、というお酒って言葉にできるものですか?
山根:うーん……わからないですけどね、言葉であんまり言ってもね、意味ないですものね……。でも本当はね、綺麗な酒が作りたい。美しい酒が作りたい。美しく整った酒が作りたい。そういうと「え?山根酒造が?」って言われるけど、女性的なっていうのは本当そうかもしれない。美しさって、あるべきかなって。どう美しいかっていうのは、人によってわからないけどね。 ただ、お燗で美しい酒を成すには覚悟がいる。変に認められるコトで自分の覚悟がうすくなってゆく。易さに流れるな。そういう得体のしれない混沌が私の中にあるようで、自分と戦いながら探している感じです。
千恵子さんはどうですか。
藤田:やっぱり今死ぬに死ねないと思っているのは、一つはセンムが言い残したことを一語一句変えずに残すこと。もう一つは、私から見たセンムを書くこと。
最初の一つは、センムご自身が話しておきたかったこと。センムは何を、遺った人たちに言っておきたいですかということ。お米を入れるルートとか、どこから農家さんとの付き合いが始まったのかとか、良い米だってどうしてわかったのか、ですとか……、今から思えば、としか言えませんけど。渦中にいるときは、センムさんの命がいつまでもつのかはわかりませんでしたから。でも亡くなる三日前、私はなぜ重い病気の人に IC レコーダーを向けているのかと気持ちと、いやもう、頼まれたからには、ここは一言でも多く聞くべきだろうという気持ちと両方の気持ちがありました。
山根:千恵子さんに伝えたかったんでしょうね。
藤田:いや、なんで私なのかと思っていました。醸造のこととか細かいことはわからないんですよね、私は。センムがやってきたことは近くで見ていましたけど、醸造の専門的なことはわからない。でもセンムは亡くなる直前は醸造学の本を書き直したいくらいの気持ちに駆られていたんですよね。センムが生きていた時に、それを自分がどこまで分かっていたか——。
センムさんとの対話のテープ起こしは、センムさんの命の時間ということも含めて「自分は何もわかっていなかった」ということに向き合う作業。大好きだった、亡くなった人の声を聴き続けるということも悲しくて、きついです。私にとってセンムさんとの対話は日常だった。だから「ねえねえセンム」って普通に話しかけて自分の話なんかもしているんです。センムさんが亡くなるとは思っていなかったし、思いたくなかった。でも、センムさんにとっては、その対話は遺言でした。だから、本当にごめんなさい、と思うのですが、でも一生逃げてるわけにもいかないですし、今は自分にできる仕を進めていくしかないと思っています。