「そちらで酒造りに携わりたい」。15年前に届いた一通の手紙の消印は東京都八王子だった。練馬の飲食店で落ち合って面接した20代後半の青年は、料理人を志して京都に渡ったものの道半ばで挫折、気晴らしで入った居酒屋で日本酒の魅力を知ったという。それからは片っ端から日本酒を飲み、その個性の多さに魅了されつつも自分好みの酒とそうではない酒の立ち位置の違いに気付く。彼が好む酒に共通していたもの、それは米感の強い酒だった。練馬区の酒販店に通い込み、紹介された1本の酒との出会いが彼を飲む側から造る側へと気持ちを変える。それが「日置桜・鍛造シリーズ」だった。
この鍛造シリーズは、内田百種園が生産する自然栽培米で仕込まれる純米酒で、弊社が行っているシングル醸造のきっかけとなった篤農家である。本来金属加工用語である鍛造という言葉を用いた背景には、単体の素材を鍛えて新たな価値を生み出すことにあり、この原料素材に最大限の敬意を込め、内田米で仕込む酒にのみ鍛造という言葉を付した。
この酒が生まれる環境に身を投じてみたい、それがその時点での彼の希望であった。
彼の名は依田(よりた)圭司。線の細い体型から、蔵人として体力的な不安は感じたものの、気持ちの熱さが気に入って平成20年秋、依田は山根酒造の蔵人となった。
向学心の塊のような依田の仕事の習得の速さは驚異的で、また非常に丁寧でもあった。この新人の仕事ぶりは周りをも触発し、伝播されたモチベーションもあり、この年の造りは完成度の高い酒が生んだ。
また依田に感心したのが、疑問に思ったことは臆することなく質問してくる貪欲さだった。それは時に煩わしくさえ感じられるほどだったが、わからないことを後回しにせず、限られた時間で覚えようとする姿勢であったと思う。
非常に驚いたことがあった。造りも半ばが過ぎた頃、依田が発した指摘があった。「なぜこの工程でこれをやらないのか」 それは当時の杜氏が、そこまでの必要はない考え、省いていた工程だったのだが、寒冷地での仕込みには有効な方法であり、依田は初年度でそれを見抜いてしまった。これにはさすがに参った。
蔵の仕事は朝5時から時に深夜に及び、地元の蔵人以外は住込みとなる。数か月寝食を共にするので、夕飯時には晩酌しながらの酒談義が常となる。
蔵元はどんな酒を目指し、蔵人に何を求めるのか。蔵人はそれをどう受け止め、自らの美意識と重ね合わせるのか。さらに酒を酌み交わすことで、より深い会話が生まれ、一方通行ではないモノづくりの意識の共有が育まれる。山根酒造の文化は、こういう人間臭さを大事にしてきた。
蔵元として私の考える酒の理想形。舌に感じる味わいだけで酒を完結させず、受け止めた体の負荷を少なくし、馴染んでいくような心地よい酔い。さらに食欲を掻き立てる究極の食中酒。それに向かうためにはそれ相応の原料米が必要であり、できる限り自然のまま米作りをする生産者の協力が不可欠となる。
夜な夜な語り合うなかで、依田はこの美意識に共感してくれた数少ない蔵人であり、かつ米の持つ力がいかに重要なファクターなのかを理解してくれる存在にもなっていた。
やがて春が訪れ皆造となり、当期の酒造りは終了した。それは彼のもうひとつの希望でもあった酒米作りへの始まりでもあった。その修行先こそ、彼をその気にさせてしまった酒の酒米生産者、内田百種園の内田敬一郎氏(平成24年没)であった。
依田は内田氏の近くの空き家を借り、ここでバイケミ農法を学ぶ。内田氏も彼の人柄と向学心に惚れ込み、自らが培ってきた微生物を活かした農法を伝授。その後依田が取り組む自然農法の基礎を授かることとなる。
1年が過ぎ、依田は次の新天地として滋賀県の農業団体へ移住した。働きながら就農するノウハウを学べるため、就農を目指す若者が各地から集う農業法人だ。ここで春から秋まで働き、冬は近隣の蔵で酒造りをするという数年間をすごし、あるご縁から兵庫県の朝来市に移住を決める。その地で後継者のいない農家の設備一式を譲り受け、ここを終の棲家と決めて彼が探し求める自然農法の実践が始まった。
化学肥料や、除草剤などの農薬を使わない米作りは容易ではない。病害虫や雑草の洗礼を幾度となく受けながらも、心折れることなく依田の試行錯誤は続いていた。
取り組みから4年ほど経ったある日、依田から連絡が入った。「少しだけですが、恥ずかしくない米が出来るようになりました。よければ一度見に来てもらえませんか?」
早速出向いて見せてもらった圃場には、亀の尾が育てられていた。その長い背丈を支えるようにしっかりとした稲株の下には自然栽培特有のきめ細かな土の層が生まれ、その上をホウネンエビ等の数多くの水中昆虫が泳いでいる。それは並大抵ではない依田の努力の年輪として伺え、何とも美しく眩いばかりの光景だった。
彼の労力を称える言葉を発した後、「もしよければ、来年うちの米を使って酒にしてもらえませんか?」。
その昔語り合った、我々が共有する理想の酒のことを忘れずにいてくれたこと。それだけでも嬉しかったが、こういう形で一緒にモノづくりができることが何よりの喜びであった。
私はその申し出を有難く受け取って、契約農家として生産を委託することとなった。
本懐とは、もともと抱いていた願いや希望を指す。盃は出逢い、繋がりの縁を顕す。
本懐の米作り、本懐の酒造り。点と点が繋がり線となる。15年の歳月を経て、ひとつの道筋が生み出された。さながら塩の道、酒の道と云うべきか。
【製造諸元】
原料米 | 玉栄(無農薬自然栽培米) |
生産者 | 依田圭司 |
精米歩合 | 70% |
酒母種類 | 生酛 |
使用酵母 | 無添加(蔵付き酵母) |
アルコール分 | 13度 |
日本酒度 | +10.9 |
酸度 | 2.4 |
アミノ酸度 | 2.4 |
酒造年度 | 令和2酒造年度 |
小売価格 | 720ml 2,035円(税込) 1800ml 3,960円(税込) |
商品情報
商品名
生酛純米酒「本懐の盃」
日本酒度
+10.9
酸度
2.4
自然栽培米で製造する新規格の生酛純米酒です。新酒火入れから3度の夏を越し、十分な熟成期間を経てリリースされるこの新商品、最初はおとなしく地味な酒だな・・・との印象を受けられと思われます。
それは地味なのではなく、滋味であることに気づかれたとき、この酒の本質を拾ってくださったものであり、酒蔵とする本懐の喜びでもあります。
アルコール分13度代の設定は弊社でも初めての試みですし、世にある完全発酵酒の中でもあまり見かけないスペックではありますが、生酛酒の新しい可能性も現わしていると思っております。
気が付けば、瓶中の酒がすごく減っている。そんな酒を目指しました。
希望小売価格
720ml 1,650円(税込価)
180ml 3,960円(税込価)